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そして夢の100歳へ

2024/08/01

私には高齢の祖母がいます。


「物申せる存在が次から次へといなくなって、もはやクイーン」なんて話ももう何年も前からのこと。100歳の大台も、もうそんなに遠い未来の話ではないでしょう。


健康状態はもうだいぶ厳しい

最近では、記憶がほろほろとほつれていっています。あるものがなかったり、ないものがあったりするのです。父(実子)に電話で変なことを言っては、度々怒らせています。


また、同じことを何度も言います。ちょっと前の良かったことを沸かし直して、「いやー、それにしてもあれはよかった!」と噛みしめてまた喜ぶなんてのは、健康な人でもたまにはやりますが、それにしてもあまりにも繰り返し言います。誰に何を話して、何を話していないかを覚えていないのです。


両足は失ってはいないけれども、力が入らなくてただ立っていることもできません。押してもらう車椅子です。筋肉が衰える、だから思うように動かない、だから筋肉が衰えるの悪循環です。


誰もいない家はもはや時間が止まっている

入院した後に施設に移っているので、十数年前に祖父が他界して以降、一人暮らしだった祖母の持ち家は、最初に病院に駆け込んだ「あの月」で時間が止まっています。事前に仏壇を叔父(実子)の家に移したのは大正解でした。


たまに家にも様子を見に来ますが、いずれトラックを何杯満たすことになるかわからない、大量のモノたちはそのままです。家の2階に昔からずっとある、足で漕いで使う古いミシンの椅子に座ってみると、私やいとこが小さかったあの頃の思い出が蘇ってきて、なんだか複雑な気持ちになります。あの頃、夏休みよ長くあれと切に願ったあの場所です。夏休みがずっと続いたらどれだけ嬉しいことかと。


限りがあるからこそ大切

永遠って響き、かっこいいな、と思っていた頃もありましたが、有限のこの世の中でそれはなかなか難しいです。


最近では、限りがあるからこそ、人もものも時間も、大事にできるんだと思うようになりました。



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